志向に没頭し、執着し、貫き通す

京都百足屋さん、おばんざい料理。

 TV中継で、サッカーのチャンピオンズリーグをぼんやりと眺めていました。ふと考えが。サッカー選手、この人達は何故こんなにも走り回り、尽力してボールを追っているのだろうと。それはきっと、それぞれ自らがその行為を心から楽しみ、没頭しているからだと思うのです。どうしても勝ちたいという勝利への執着。この没頭する力、執着する力というのは、何者にも勝る力であるように感じます。人間の肉体は日を追うごとに衰えていくことは周知の事実にもかかわらず、その個々の人達が何故そのスポーツを愛して、やり続けるのかと考えれば、それは自らの心が志向しているから、没頭したくなるほど惹きつけられるからに他なりません。そしてその没頭・執着は創造へとつながっていきます。没頭・執着し創造していくことは、いたく時間と労力を要するものです。日本など衣食住に満たされた先進国における使命とは、豊かな創造性を享受していくことであると私は強く考えます。誰かに求められようとそうでなかろうと、創造に尽力することをやめるべきではありません。それによってヒトは古くから文明を築いてきたし、これからもヒトが存在する限り、それは繰り返されていくのです。
 しかし自らの志向性を貫き通すためには、その度合いが強烈なことと、それに加えて周到な戦略性が要求されます。ただ何かが好きというだけでは、創造にはつながりません。自らの志向性を追及する、自分は何のどこが好きなのか、どこに惹かれるのか、真剣に粘り強く考え続けることです。そしてそれを通して表現したいこと、実現したいことを見つけ、そのためにはどんな道具・能力が必要なのかと考えていくことです。あとはそれを手に入れる、習得するための努力をしていくだけです。根気強い人であれば、それぞれ独自のとても素敵なモノが生み出せる、私はそう強く信じています。