限りなく透明に近いブルー
新装版*1
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/15
- メディア: ペーパーバック
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- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1978/12/19
- メディア: 文庫
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実際本作にしても、曲と同様、この内容が30年以上前に描かれたとは到底思えない。今の時代にあってさえその鮮明さが色濃さを増すように感じる。
人物が語るとき、言葉が「」で囲まれているときは比較的理性的なやりとりで時間の流れがゆったりしていて、対してそれを取っ払って綴られる会話は感覚的でスピード感がある。クスリが効いてトリップ中などはとりわけ後者によって交わされると気付いた。
文庫で160頁程度とボリュームは軽いが、読んでいて鈍い痛みを噛み締める。トリップや、嘔吐や、覚醒剤の注射針や、乱交や、骨折の瞬間や、痣(あざ)が矢継ぎ早に登場するので、不快感と闘って耐え抜く覚悟は必要。しかしそれを乗り越えて迎える最後は、きっと悪くない。*2
◆◆◆
新装版の綿矢りさの解説*3は作品理解に役立った。何かに気付かされ、何かに違和感を覚えた。
主人公リュウの全ゆる物事を見続けようとする態度について、綿矢は自己体験も挙げつつ、そうする事によって世の中の出来事に対する負の先入観が否応無く芽生えると語る。そして以前のようなフラットな気持ちで物事を見られるように戻るのに時間がかかるとも。
私自身、人間の負の部分や汚い部分について目を背け続けるという事は、すべきで無いと思う。そういう部分もあって社会は回っているのだし、人間が生きていく上で決して忘れてはならない事で、心に刻まなくてはならない時もあると思う。
しかしバランスが大事だとも思う。そうして負の部分を見続け、その状況下に慣れてしまう事はやはり異常な状態で、リュウは少しばかり見続け過ぎてしまったのだという事は間違いない。
問題になるのは、それらを直視してもよい時期を見定める事だ。「見猿、言わ猿、聞か猿」をよく思い出す。小さい時は悪い物事を見たり、言ったり、聞いたりしてはならないというこの三猿のエピソードは非常に的を射ていて、各地で語り継がれているのも頷けるといつも思う。
リュウは意図して見続けていた訳だが、あまりに早い段階、例えば成人以前は人格形成に多大な影響を及ぼすため、こういった部分を見過ぎてしまう環境下に人はあるべきでない。人間の負の部分は人格形成の基準に用いられるべきでない。不快過ぎる物事から、自分の心が病んでしまう限界で目を背けられる力が備わっているか否か。この力には個人差はあるのだろうか。